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2017年6月24日 (土)

2017/7/10(月)日本ワヤン協会主宰松本亮先生の遺作「金子光晴の唄が聞こえる」刊行!

出版社:めこん

下記の本のお知らせがホームページに掲載されていました。17年3月に亡くなられた、日本ワヤン協会主宰の松本亮先生の遺作となります。

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金子光晴の唄が聞こえる
 松本亮著

 定価2500円+税
 四六判・上製・232ページ
 ISBN978-4-8396-0303-8 C0095
 装丁:菊地信義 

 松本亮さんは金子光晴と最も親しい友人でした。本書は、金子光晴の死後、雑誌『新潮』に掲載された同名のエッセイに加筆したものです。しかし、今年3月、あとがきを書きかけて、松本さんは急逝されました。


【目次】
バトゥパハの女
森三千代のこと
土方定一のこと
流浪の意味
山中湖畔の宿
R子のこと
『愛情69』以後

書きかけのあとがき
松本亮の優しさ(暮尾淳)

【書きかけのあとがき】
 「金子光晴の唄が聞こえる」は、雑誌『新潮』の一九八三年(昭和五十八年)四月号に、三五〇枚一挙掲載ということで発表された。その後まもなく単行本化されるはずのところ、事情により、そのまま三十数年が経過した。  あっというまだといえば、それまでで、まあ、そんなものかと思ってもいたのだが、ここへきてマッちゃん、マッちゃんと金子の呼ぶ声が聞こえる。考えてみれば、私がもう金子大兄より一〇年も余分に生きていることで、なにか忘れてやしませんかというわけである。そんなことで一寸慌てこの本がやがて遅まきの初版本として世に現れることになった。他意はない。
 本意なのかどうか、葬式なんかいらん、俺のことなど研究してくれるななどと折に触れてはいっていたおどけの“金子さん”。そうなんだよね。研究されなくても、エロじい、ふうてん老人、といった風評がいまだまかりとおっている反骨の大詩人。なんの縁か、すさまじい最後の二五年間、そのそばであれこれを見させてもらうことともなった。金子光晴万華鏡の一端をしるし、その生きざまのよけいなことをかきおって、何ほざいとるといったところもあるかしれないけれど、まあご勘弁のほどを。 (2017年3月7日、著者が倒れる直前にかきかけたもの)

【本文より】
バトゥパハの女
 マレーシア人の運転する車にのって、三人の女性を道連れに、からりと晴れあがったクアラルンプルの午下りをあとにした。市街地の混雑をやりすごしたころ、助手席にいた私は運転手に話しかけた。「バトゥパハまで何時間くらいかね。」「まあ三時間か五時間だね。」なぜ四が抜けおちるのか奇妙に思ったが、それにはかまわず私はひとりごとのようにして呟いた。「ゆっくり走っておくれ。別に急ぐ旅でもないんでね。」
 急に視界がひらけた。舗装された道がまっすぐにのび、その左右には大王椰子が道を蔽ってそびえる。葉先が青空を繊細に截ちきって美しい。
 金子光晴が昭和五十年六月、七十九歳の生涯を閉じた、その年の暮のことだった。葬儀を終えてほっと息をつき、何か忘れものをした想いにかられて金子の著書を手にとり、あらためてつぎの文字を眼にしたとき、私はしまったとほぞを噛んだのだ。
〈そうだ。僕はまだ、バトパハにいるのだった。おそらく、僕の友達が二百人いるとしても、これから先もそのうち一百九十八人は知らないで終わるにちがいない、そのバトパハにいるのだった。〉(『西ひがし』より)
 横面を張られた衝撃が全身をはしった。なぜ生前に私はあのバトパハを訪れることをしなかったのだろう。〈山川の寂寥がバトパハぐらいふかく骨身に喰入るところはなかった。〉(『マレー蘭印紀行』より)とも彼は記す。そのあふれる想いはさらに晩年の自伝小説『西ひがし』で増幅されて、哀感にみち、それじたいが彼の生涯の背骨を支えて立ちあがってくるかとみえたのである。
 つかず離れずだったが、その生涯の最後の四半世紀を、その行動、作品活動のあれこれにじかに接しえた私には、マレー半島南部のマラッカ海峡に面する小さな海村バトゥパハが、金子とのかかわりにおいてもっとも気にかかる土地とはなっていたのである。ふだんの金子の話題にのぼることがなかったので、そのままにすぎたのだが、彼の厖大な作品群の中で、この海村にかんする描写ほど愛惜の想いにみちて書きこまれている土地は他になかった。
 しかも南方の風物はこの時期の私にはもはや珍しいものではなかったのだ。数年前から何度かインドネシアのジャワ、バリ島を往来しては、そこに根を張る影絵芝居を追い、さらに関連のあるマレーシアの影絵芝居を求めてクアラルンプルまでは足を運んでいたのである。しかしそこからさほどでもないバトゥパハに私はなぜか立ちよることがなかった。
バトゥパハへゆこう、私はそう思った。ほぞを噛む思い、しかしその思いは羽田をとび立ったあとはどこかへ消えていた。その土地をみて、私は何をしようとするのだろう。金子がそこでパリへの苦痛にみちた道すがら、束の間の息抜きをすることができったのであったにしても、すでに四十六年をへた今の時点で、私は何を見ることができるのだろう。
 この車は日本製だ、と運転手はいった。うん、知ってるさ、と応じる。車は滑らかに走り、大王椰子の並木は途絶え、そのあたりから、みごとなゴムの農園がつづく。この道は四十何年か前、金子が乗合いタクシーにゆられて走った道だ。三十何年か前には日本帝国軍隊が侵略の鉾先をシンガポールへむけ、銀輪部隊をつらねて南下した道でもある。諸所で戦いがあったのだ。ということは日本人の手により無辜の人間の血が無残にその大地に吸われたということである。
金子はクアラルンプルでは、四十歳をこした日本娘たちが客をつれこむ部屋貸宿の一室に泊り、その宿をきりもりする島原なまりの老女から〈彼女の友人達のおちこんでいった凄惨な末路や、怖ろしい「蟻地獄」のこと〉をきき出している。それは「コーランプルの一夜」にまとめられて、天草、島原の女たちが女衒の手に売られ、南方瘴癘の地を稼ぎ高につられてさらに奥地へ、また名もない小さな島のはてまでも落ちていったさまを、克明にしるしている。
 そのとき金子自身もまた彼女らの境涯とさほど変わることがないと身に沁みて感じたのである。それは私のような表敬訪問の旅、また今日の文化人類学者や流浪人研究者らがいわゆる調査のためその土地々々を訪問して歩くといった体のよさは微塵ももちあわせていなかった。彼はそれらの土地に日本人を訪ねては懐中にした水彩絵具一式をたよりに、頭をさげて似顔絵を描かせてもらい、何がしかの金銭を得るためのひとり旅をつづけたのだ。いつどこで野たれ死にするかしれなかった。しかもその日その日をやりすごせばいいわけでもなかったのである。愛妻森三千代はひとりシンガポールからパリへの船上にあり、彼はそのあとを追わねばならなかった。パリまでの船賃ははした金ではなかった。彼は「苦しかったこと」という一文にこう記している。〈シンガポールを出発する以前から、デング熱という風土病にかかって、二週間ほど旅館で高熱を出して、果物の汁だけすすっていたので衰弱し、四十五度の南方の炎天下に立つと気が遠くなって倒れそうになった。シンガポールの対岸のマラヤのジョホール州の首府ジョホール・バルーから出発して、マラッカ、タイピン等を経てスレンバンという町に着いたときは、ゴム園やジャングルを歩いてきたために、マラリヤ蚊に刺され、毎日一定の時間に悪寒とふるえがはじまって、苦しまねばならなかった。(中略)私は、この旅の途中で斃れてしまうのではないかと幾度もおもった。南方のけしきは、見渡すかぎり荒寥としていた。〉
 私たちの車はみごとに整理されて道の両側にたたずまうゴム園を突ききり、スレンバンという名の町を通過していた。スレンバンは賑やかな小都市である。その賑わい、またゴム園のたたずまいは、しかし四十幾年か前とさほども変わっていないと思われる。むしろ合成ゴムが幅をきかす今日よりも英国植民地時代の当時のほうがはるかにゴム園は整備されていたはずである。自動車の走る道路状況もまず似たようなものだろう。意に染まぬ似顔絵師という特殊な境涯になければ、金子もまた〈南方のけしきは、見渡すかぎり荒寥としていた〉などとは書かなかったのではないか。いったいに風景描写というものは筆者のそのときどきの心象をうつすものといわれるが、金子の場合もこれに洩れず、南方の豊潤の緑、なつかしい土のむせかえる香り、さらには暑熱をやわらげる強烈な驟雨(スコール)も、多くの場合、彼を脅かすもののけとうつった。そこには虎や蠍やコブラがいたかもしれないが、常時人間に狙いを定めて襲撃をたくらんでいたわけのものでもない。鬱々とした旅のつれづれに、その見聞はこまかくノートのはしや紙きれに書きとめられて、それが彼の強靭な文章の骨格として生きたのだが、そこにまた金子の生来の気弱さやデリカシーがのぞけてもいるのである。彼は前掲の文章の末尾をこう結んでいる。〈あの旅は旅と言うよりも地獄廻りのようなものであった。そんな旅でも、旅は道づれという言葉の通り、誰か友達がいっしょだったら、苦しみを半分に分けてなぐさめあうこともできたろうにとおもう。しかし、苦しかったことも、過去のこととなれば、人間は苦しみは忘れて、たのしいおもいでだけが残るという気楽な本性をもっているもののようだ。〉
 おそらくは金子もまた〈地獄廻りのような〉旅の中で、人情の機微にふれてこころ温まり、旺盛な繁茂をしめす熱帯植物群の細部を凝視し、平手打ちくらわす豪雨と底しれぬ天の青さ、そして身も心も腐るかと思われる高温多湿の中のけだるさをそのままにたのしみ、ときには身の境遇をも忘れていることのできる時刻ももてたはずだ。・・・

【著者はこんな人】
松本亮(まつもと・りょう)
1927年、和歌山県に生まれる。
1948年、大阪外国語大学フランス語学科卒。
1951年、詩人金子光晴を訪ね、同氏没年(1975年)まで親交をつづける。
1953年、バレエ「白狐」(台本、演出)を松山バレエ団により上演。一九七〇年「高野聖」なども。
1968年、はじめてインドネシアを旅し、ワヤン上演を見る。
1969年、日本ワヤン協会を設立。以降、没年まで主宰する。
1998年、インドネシア共和国大統領より文化功労勲章を受ける。
2017年3月9日、多臓器不全で死去。

著書:『運河の部分』『ポケットの中の孤独』『人間、吹かれゆくもの』〈以上詩集〉。『アンコール文明』『ジャワ影絵芝居考』『マハーバーラタの蔭に』『ワヤン人形図鑑』『ジャワ夢幻日記』『悲しい魔女』『ラーマーヤナの夕映え』『ワヤンを楽しむ』『新雑事秘辛(金子光晴との対話集)』『ジャワ舞踊バリ舞踊の花をたずねて――その文学、ものがたり背景をさぐる』ほか。

【外部リンク】
日本ワヤン協会
めこん Facebook
めこん

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2016年9月16日 (金)

16/09/19(月・休)イチコワールドでのどかなひとときをどうぞ、中田一子弾き歌いライヴ「ICHIKO LIVE」

会場:東京都渋谷区 バリカフェ モンキー フォレスト

下記の公演のお知らせが中田一子さんのホームページに掲載されていました。

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2016年9月19日(月・休)中田一子弾き歌いライヴを行います。
13時開演(12時オープン)
出演:中田一子(歌、ピアノ、ガムラン楽器)
   前田達彦(パーカッション)
会場:モンキーフォレスト(渋谷区桜丘町10-8 1階)
料金:1,500円+1ドリンクオーダーお願いします

ご予約・お問合せは中田音楽またはモンキーフォレストまで

【外部リンク】
中田一子
モンキーフォレスト

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2015年9月18日 (金)

15/09/22(火)~23(水)アニメーションとワヤンのコラボ作品「Elephant ant man」を上演!アニメーションのカガク。ガムラン影絵 ワヤン・クリ

会場:神奈川県川崎市幸区 東芝未来科学館

下記の公演のお知らせがHANA☆JOSSのホームページに掲載されていました。

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【3Fエントランス開催 アニメーションのカガク】 ガムラン影絵 ワヤン・クリ

神奈川県川崎市の東芝未来科学館にて、クリエイターの松本さんと一緒に、
アニメーションとワヤンのコラボ作品「Elephant ant man」を上演します。

事前のワークショップに参加すると(詳細は未来科学館HPで)、
自分の作ったアニメーションが影絵の上演に参加しますよ。

ワヤン・クリは、水牛の皮の透かし彫りでつくられた人形を
白い幕(クリル)に投影しながら演じられる、インドネシアの伝統芸能です。
(ワヤンは影、また人形、クリは皮の意味です)。
ジャワでは誕生祝や結婚式、独立記念日等の行事や村のお清めなどの儀礼の際に、
ガムランの音色とともに夜を徹して上演されます。
2009年のユネスコ世界無形遺産に登録されました。
今回は、子ども達が20日、21日に作ったアニメを背景にした影絵を上演します。

影絵,ガムラン演奏: HANA☆JOSS(ローフィット・イブラヒム,佐々木宏実さん)
ディレクション: 松本 祐一さん

※観覧席を先着50名様分用意しています。立ち見もOKです!
※こちらのイベントはラゾーナ川崎東芝ビル3Fエントランスで開催します。

講師:ガムラン演奏 HANA☆JOSS
料金:参加無料
会場:東芝未来科学館
 〒212-8585 神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34 スマートコミュニティセンター(ラゾーナ川崎東芝ビル)

【外部リンク】
HANA☆JOSS
東芝未来科学館 

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2013年12月 3日 (火)

「特定■■保護法案」に反対します。

「特定■■の保護に関する法律案」(特定■■保護法案)が、■■月■■日に衆議院で強行採決され、いままた■■月■日に参議院で強行採決されようとしています。

国民の多数からさまざまな疑問や反対の声があがる中、なぜここまで拙速にこの法律が制定されなければならないのでしょうか。

そもそもこの法律は、国家が知られたくない情報を「特定■■」として隠し、組織の内部から不正を告発する人、それを支持し明るみに出そうとする市民の活動を、厳罰の下に封じこめようとするものです。

この流れは、戦前の治安■■法成立からインドネシアを含むアジアの国々を苦しめた太平洋戦争への道を想起させます。

「特定■■保護法」の制定に強く反対し、廃案を求めます。

インドネシア芸能情報・管理人 蝶野光秋 2013年12月3日

★■■の部分の表現は、朝日新聞10月30日の社説を参考にしました。

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2007年5月 5日 (土)

■インドネシア芸能情報:インドネシアの伝統芸能に関する公演の案内をお知らせください

ジャワ、バリ、スンダ、ガムラン、舞踊、講座、CDなどインドネシアの伝統芸能に関する公演の案内をお知らせください。
画像があると効果的です。

下記の形式でお送りいただけますと素速く掲載できます。

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■動画
アップロード先:youtube(http://www.youtube.com/)
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生の音や動きを伝えるのには最適です。

■掲載料:
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